【追悼】マラドーナ氏が早すぎる死去…死因は?伝説プレーや波乱の人生まとめ

マラドーナ氏が死去。死因や波乱の人生などまとめ気になるヒト

サッカー界の一大レジェンド、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏が死去とのニュース。

享年60歳。まだお若かったのに…サッカーにあまり詳しくない私にもショックすぎて言葉が出ません。

「神の子」の異名を誇り、多くの「神プレー」で世界中のファンを沸かせたマラドーナ氏。

母国アルゼンチン代表チームは、公式ツイッターで早速次のような追悼コメントを残しています。↓

さようなら、ディエゴ。あなたはサッカーの惑星の中心に永遠に残り続けるだろう

なぜこの若さで…と気になったのでその死因、そしてマラドーナ氏の伝説プレーや波乱の人生についてザザッとチェックしてみました。

マラドーナ氏の死因

母国アルゼンチンの新聞によると、首都ブエノスアイレス近郊の自宅で心不全により亡くなったとのことです。

10月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりでした。まだお若かったのに…

はじまりは今月2日に体調不良を訴えブエノスアイレス近郊のラプラタ病院に入院したこと。

自身が立ち上げたサッカーチーム「Gimnasia」を指導中に転倒したのがきっかけだったようです。

 
 
 
 
 
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病院では硬膜下血腫と診断され、翌日すぐに脳の血栓を除去する手術を受けることに。

脳の手術…コワイですね…でも手術自体はいわゆる「ルーチン」タイプのそれほど危険なものではなかったそうです。

実際マラドーナ氏は直後から意識もはっきりしていて経過も順調。

数日後には無事退院して自宅療養をしていた矢先の死去でした。

直接の死因とされる心不全と硬膜下血腫手術に関連性があるのかどうかはまだ不明とのことです。

「神の子」マラドーナ氏は、Dalma, Gianina, Diego Fernando, Jana e Diego Jr.の5人の子供を残して亡くなりました。

「神の子」の輝けるサッカー経歴

 
 
 
 
 
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ディエゴ・アルマンド・マラドーナ氏は1960年10月30日にブエノスアイレス近郊で生まれました。

サッカー好きの父の影響で早くからサッカーを始めるとメキメキ頭角を現します。

1970年、10歳の時にアルゼンチンの少年チーム「Cerbollitas」に入団。

その後1976年、16歳の時にプロ転向。

1979年と1980年には早くも2年連続で南米「パロンドール(最優秀選手賞」を受賞しています。

その後「Boca Juniors」チームに移籍。40試合で28ゴールを決め、1981年にはチームを優勝に導きます。

1982年6月にはバルセロナのバルサに移籍。

更に1984年7月にはイタリアナポリFCに移籍。移籍金は当時サッカー史上最高額の1300万ドルと推測されています。

そして同じ年に早くもチームをイタリアカップ優勝へ。

その後1991年3月、ドーピング検査でコカイン陽性になり15ヶ月の出場停止処分を受けるまでナポリでプレーを続けます。

カレカとの黄金コンビで「ナポリから誰よりも愛された男」になったマラドーナ氏。

その後同氏がナポリを去った後も、彼の背番号10は永久欠番になりました。

その後も複数のチームでプレーを続けますが、2001年11月10日、アルゼンチン代表と世界のスターチームの友好試合を最後に現役を引退します。

「神の子」の伝説プレー

類まれなサッカーセンスとスピードに恵まれた「神の子」マラドーナ選手には名プレー伝説も数知れず。

中でも多くの人の記憶に鮮明に残っているのは

  • 1986年メキシコ開催のワールドカップ
    イングランド戦での「5人抜きゴール」と「神の手ゴール」、そして
  • 1990年イタリア開催のワールドカップ
    ブラジル戦でのスルーパス

ではないでしょうか。

数々の感動シーンを作ってくれたスーパースターの「黄金の左足」は永遠ですね。

マラドーナ氏への称賛コメント

その素晴らしいテクニックはもちろんのこと、とりわけ「勝負強さ」において、マラドーナ氏は今日までのいかなるスーパースターも上回ると言われています。

実際、歴代の名選手たちがマラドーナを称賛するコメントを残しています。↓

マッシモ・マウロ
「私はジーコ、プラティニ、マラドーナとチームメイトだったが、最高の選手はと聞かれれば間違いなくマラドーナと答える」

ジーコ
「私などマラドーナの足元にも及ばない」

プラティニ
「ジダンがボールでやる事をマラドーナならオレンジで出来るだろう」

ジダン
「彼とは比べないで欲しい、彼は惑星の選手なのだから」

バッジョ
「自分にとってのアイドルはジーコだったけど、実際に対戦して最も凄かった選手はマラドーナだった」

マルディーニ
「マラドーナを抑えることは不可能。我々が取り組んだのはいかにマラドーナへのパスを封じるか。そこからゾーンプレスが生まれた」

アルディレス
「サッカー人生で一番の思い出はマラドーナとプレーできたことだ」

ロベルト・カルロス
「ブラジル人の私にとってペレは常に英雄だったが、真のアイドルはディエゴだった」

マルコ・ファンバステン
「私は天才ではありませんよ。天才というのはマラドーナみたいな選手の事を言うのです」

クライフ
「奴(マラドーナ)には選手としてどこをとってもかなわない。」

ロマーリオ
「私はスターではあるがスーパーな存在ではない。今のサッカー界でスーパースターと呼べるのはマラドーナだけだ」

引退後も波乱の人生

現役時代も引退後も、良くも悪くも常に世界中の注目を浴び続けたマラドーナ氏。

本人は周りの想像を絶するプレッシャーを常に感じていたことでしょう。

そのせい?か若い頃から薬物や筋肉増強剤を投与したり、コカインやアルコール依存などに悩まされ続けます。

とりわけ麻薬に関してはバルセロナ時代の1982年頃から2004年まで長年コカイン依存に苦しんだそう(自叙伝)。

引退後は更に食べすぎによる肥満も加わり、入退院や手術を繰り返します。

 
 
 
 
 
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2000年頃になると治療のおかげで薬物依存からは開放されますが、体重の増加が止まらず、2005年と2015年に2度の脂肪吸引手術も受けています。

常に伝説で居続けることを運命づけられたマラドーナ氏。知らず知らず体にも心にも大きな負担がかかっていったんでしょうね…

まとめ

現役中は数々の「神プレー」で、引退後はアル中や肥満、脱税疑惑などハチャメチャ人生で世界中をお騒がせし続けたマラドーナ氏。

そのダーティーなプレースタイルや強烈なキャラにもかかわらず、多くの同僚やファンから愛されていたのは、やはり彼の人徳と圧倒的な実力があってのことかと。

60歳の若さで亡くなり、太く短い人生となってしまいましたが、これからもずっと世界中のサッカーファンの心の中で生き続けることでしょう。

マラドーナ選手、RIP。御冥福をお祈りします。

 
 
 
 
 
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